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あいつの幻想主義もおいらの現実主義もみんなみーんな最期は集まるところへ集まって行く。
恐ろしさに慄いても、無感動にひたと見詰めても、なにかがそれらを突き動かし、集まり、形成する。
おれは人生を、こんなにも、愛してるじゃあないか。なぜ、おれを恨む、なぜ、おれを
ではなぜ俺を消してしまわない?こんなにも愛して、憎んでいるのにどうして、手が届かない?つらい、つらいよ。憎い。憎い。どうしてだ。
隠れているのなら、その姿をみせてくれ。
わたしはこんなにも深く、おまえを愛した。だから、もう、疲れてしまったよ。
あるいは、すべて幻想か。
人はむやみやたらに深淵へ怨嗟、憎悪、哀愁、熱情、を投げつけるが、深淵はまったく意に介さない。
だから、もう何も見ない。耳と目を閉じ、口をつぐんで。
ただ、タイプする。この激情を閉ざし、固めて、未来の私へつぐ。
そうでなければ、それだけが、希望の一縷となりて、いつか誰かがつぐんだ口を再び開くまで。
いつもいつも、いつまでもそこにあれ。わたしの代わりに生を持て。わたしの苦しみもおまえが持て。
わたしのすべてを注ぐから。うらぎってくれるなよ。もっともおまえにはなからその権限もない。
保持して。記憶せよ。未来永劫に訴えて、問い続けるべし。
わたしの生は、もうお終いだよ。ただの道化師さ。感情を持たないただの道化だ。